2006年02月28日

さようなら親父 -30-

すでに私の場合、『あと2週間の命』と聞かされた時点で、覚悟はできていた。
遅かれ早かれ、このときが来るんだと。

ついにそのときが静かにやって来た。
看護師さんの一人が、静かに言った。
「臨終です。先生をお呼びしますね。」
父はすでに息を引き取っていた。
眠ったように、死んでいった。
もう、戻ってこない。
やはり私は涙が出てこない。
母も、おじも、おばも、姉も泣いている。
でも、父はもう戻ってこない。
72歳の命はそこで終わった。
もう少し生きれたはずなのに、もう少し生きて欲しかったのに。
人の一生はあっけないというのが、頭に浮かんだ。
父の一生は悔いのないものだったろうか?
晩年は入院、手術の連続で不本意な年月だったろう。
旅行や楽しいことがあっても、心のどこかで常に「自分は爆弾を抱えている」という気持ちで、いい気分になれなかっただろう。

戻れるとしたら本人はどの時点まで戻ってみたいだろうか?
人生一度きり。
その最期があっけなかった。
本人だって、死ぬとは思ってもみなかっただろう。
いや、最後の最後まで死ぬとは思っていなかったも知れない。
家族と実兄に見守られて、死んでいったことが救いなのかもしれない。

やがて、5年にわたる間お世話になった担当医が来た。
ドラマで見るような、父の目を指で開き小さなライトを照らして、臨終を確認した。
担当医は言った。
「仙洞田さん、助けることができなくて本当に申し訳ありませんでした。」
私たち家族も、担当医には言いたいことがあるのだが、このときばかりは静かに聞いていた。
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2006年02月15日

さようなら親父 -29-

前の晩私が泊まったときとは違って、苦しそうな表情。「はあ、はあ」とやっとの思いで息をしている様子。
私も交代して参加し、手足をさすってあげた。
やはり手足をさすってあげるだけでも違うのであろう、手足のむくみがなくなっている。
しかし皮膚はすでに冷たくなっていた。
病院からは、明日の朝が峠だというような話らしい。
今後のことも気になった。私が泊まるにしても心細い。明日の朝になれば、もう息を引き取るのだと思うと、一人で見取るには戸惑いがあった。
しかし、母はもうすでに病院に残る覚悟でいた。

1時間ほどみんなでさすっていただろうか。
病院の外は今年の特有の寒さで極寒であったが、病室の中は乾燥して暑かった。
体力を使ったためか、私はかなり汗をかいた。

5時になった。
私は気づいた。
父の息が弱くなってきていると。
看護師さんを呼んだ。
2,3人の看護士さんが来て、父の様子を見守る。
「もう、息がなくなってきてますね」
と絶望的なことを、平気な顔で言う。
もう終わりなんだと実感した。
母、おじ、おば、姉たちは父に声をかける。
「まだまだ、がんばるんだよ!」
「おとうちゃん!」
「あきら(父の名)!」
私も思わず叫んでいた。
「おとうちゃん」
こんな状況ではあったが、ドラマのワンシーンを思い出した。
あまり公言できないが、不思議と悲しみは少なかった。
それよりも、その先に控える大イベントの責任者・喪主としてどうすれば言いかというようなことが不安だった。
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2006年02月14日

さようなら親父 -28-

夕方病院また出かけ再び泊まる覚悟だったので、出かける前にシャワーだけ浴びようと思っていた。
2階では妻が二人の子供を昼寝させようとしている。
一人でテレビを見ながら、横になって軽く眠ろうとしたが、眠いだけで寝付けない。
やはり心の中で父のことが心配だったのだろうか。
2時近くになり、電話が鳴った。
何となく緊張。
このころは、電話の音にいちいち敏感になっていた。
母からだった。
『血圧が落ちてきて、危険な状態になりそう』
とのことだった。
急いで準備した。眠気もふっとぶ。
妻に報告したり、着替えたりしていると、また電話が鳴った。また、緊張。
また母の声。
『元に戻ったから、まだ来なくていい。でもできれば、早めに来て。』

緊張が少しほぐれて、また座り込んだ。
しばらく、テレビを見るともなくつけたままボーっとしていた。
時間は3時近くになろうとしていた。

近所には、母の妹の家がある。
私からしたらおばにあたるが、そのおばが家に入ってきた。
おばのところに、連絡が入ったという。
そのおばが迎えに来てくれ、一緒に車に乗り込んだ。
運転するのはおばの息子、いとこのYである。

車の中では、病院のことが気になった。
私たちが行くまで果たして間に合うのだろうか?
正直来るときが来たという感じだった。

4時を目の前にして、病院に着いた。
病室には母、父の兄、その妻、姉がいて、一生懸命声をかけながら、みんなで手分けをしながら手足をさすっている。
父はもう変わり果てて一層、苦しそうになっていた。
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2006年02月08日

さようなら親父 -27-

朝。目が覚めた。

6時くらいだっただろうか。私は思えば昨日の昼食以来何も食べていなかったので、正確にはお腹が空いて起きた。

父は相変わらず寝ている。
今日はどういう日になるのだろうか。果たして…
などといろんな思いが駆け巡る。

家では母は眠れただろうか。母は安定剤がないと眠れないほどの状態になっている。
こちらも心配である。
私と交代するため、朝早くから家を出てくるのであろう。
私からの連絡がないことで一応落ち着いているのだろうと思った。
朝になっても、看護師の測る数値に変わりはなかった。

家族が起きる頃を見計らって電話を入れた。
一応母からは安堵の声が聞こえた。

それから、父の寝顔を見ながら、ペットボトルのお茶を飲み時間をやり過ごした。
9時半過ぎになり、母が来た。
父の寝顔を見るなり、少しほっとしたようだ。
前日からの経過や様子を報告して、私はいったん家に帰ることにした。
家に着くと妻と子供が留守番をしていた。私もほっとして眠かったが、久しぶりの食事をとった。

妻は忙しく家事をこなしていた。
母は半年ほど、家事もそこそこに父のことで精一杯だったらしく、家事というより家の片付けや整理、掃除を念入りに行わなければならなかったようだ。

少し早かったが、早い昼食をとった。
いつ何時、呼び出されるかわからない。
妻がこしらえてくれた昼食を急いで食べた。
昨夜も寝たような、寝れなかったような状態で非常に食事をしたら眠くなった。
風呂も入ってなかったが、少し寝たかったので横になった。
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2006年02月07日

さようなら親父 -26-

一連の作業を見守っていると、看護師から「休んでいてもかまいませんよ」と声をかけられた。
「大丈夫です。」と答えたが、私もいつしか眠くなってきた。
血圧も体温も変わりなしということで、特に実家や姉の方にも連絡は入れなかった。
日付が変わる頃になっただろうか。
私もうとうとしていた。
何とか看護師さんの検診の作業の音で目を覚ましたりしていた。
でも、立ち上がろうとせず、腰を下ろしたままだった。
何となく寝ているのが申し訳ないと思った。
父はぐっすり寝ていた。

記憶に有るのは2時頃に看護師が来たときだ。
眠い中で看護師から聞いた話だったが、父が大便をしたという。
実はその日2回目だった。
夕方みんなが帰ったあと、父が何か私に話しかけた。
すでに父はそのとき何を言っているのかわからない。
でもそのときは、小便か大便かというような視線を私に示した。
私はインターホンで看護師を呼んだ。
どうやら、オムツに大便をしたらしい。
看護師に大便をとってもらった。

で、夜中の2時ごろ再び父は大便をした。
この明けた日の夕刻に父は亡くなったのだが、そのときに立ち会った、父の実兄であるおじにこの話をしたところ、おじは冗談とも本当ともつかぬ口調でこう言った。

「人間は死ぬ直前にうんこするそうだ。『切な(せつな)グソ』って言うらしい。」

まさか、父の死後で悲しんでいるときなので、冗談ではないとも思ったが死んでいく人が大便をすること、それが切ない別れの大便だということで、何か真実味を感じた。
2度の「切なグソ」。
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2006年02月04日

仙声人語20060204

先週土曜日。父の四十九日法要。
はや父が亡くなって1ヵ月半。
亡くなってからも、主の亡くなった影響は大きかった。
銀行、生命保険、郵便局、証券、年金さまざまな相続処理が立ちふさがった。
母ももう若くはなく、そのようなことはすべて亡くなった父が今まで管理していたのでなにもできない。
私の妻が主導権を握って、処理を遂行してきた。
四十九日を境にして、やっと終わりが見えてきた。
見えてきたのもつかの間、今度は確定申告の声が聞こえてくる。
古い自家用車もマニュアルということで処分してしまった。
一人残された母はもちろん運転することはできないからだ。
残されたのは登記。
これも得体の知れないものだが、姉が処理の役を引き受けている。

さて、先週の四十九日。
私自身、四十九日自体への出席ももしかしたら初めてだったのかもしれない。
出席した記憶がない。
朝から家に親戚、父の懇意の人が詰め掛け、和尚さんを呼び、読経をあげる。
30分ほどで終わる。葬式や初七日ほど式次第があるわけではないので、喪主の私もどうしてよいかわからない。誰かからささやかれる指示に従って、簡単に挨拶を述べた。
今日来てくれた御礼とこれからの行動について。

そのあと近くの料理屋で会食。
こういう会食をお斎(とき)というらしい。
ここでも、司会がいるわけでもないので、まず私が挨拶。
父の病気の発見からの経過を一から話し、お礼を述べた。
そのあとはそのまま式進行を行い、親戚代表で父の兄からの挨拶、旧友から献杯の発声をお願いした。
それから食事。
料理もそこそこに、集まった方々にお酌に回る。
最後は母方の伯父より終辞をお願いして、閉会となった。

家族を亡くしたつらさもあるが、実際その後の処理で悲しんではいられないというのが実感である。
posted by センセイジンゴ at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月03日

さようなら親父 -25-

父は膀胱のがんであったため、手術後などひどいときには夜中に5,6度トイレにおきると言うことがあった。
それこそほとんど眠れずに、トイレだけのために眠れないということが続いた。
そういう、トイレに起きなければならないということが体と脳に染み付いてトラウマのようになり、無意識にトイレに起きなければならないという行動をとらせていた。

そのためこちらは、その必要はないんだということはわからせようと、体を張って制止していたのである。
尿はベッドに体を横たえたままでも、局部から管を伝って流れ出るようになっている。
この2日のうちからその管を通る尿の色が、どす黒い赤色になってきていた。
悪い兆候なのか?
いずれにしても確実に死期は近づいていた。

病院の消灯は21時半と聞いていた。
10分ほど遅れて病室の電気が自動的に消えた。病院全体がひっそりとしている。
枕もとの電気は自分で消すようになっているので、私が消さなければ当然父も消すことができないので、電気はついたままであった。
父も寝息を立ててぐっすり寝ていたので、消す必要もないと思い電気はそのままにしておいた。

約一時間ごとに看護師が来ることになっている。
そのたびに、血圧と体温を測り、床ずれしないように父の体の向きを変えることになっていた。
私も病院に泊まることになった以上、なるべく起きていようと努力して、設置されたベッドに横になりながらも、本を読んだり、手帳を眺めたりしながら時を過ごした。
やがて、看護師がやってきた。
posted by センセイジンゴ at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月02日

さようなら親父 -24-

日曜の夜、実家に電話をした。
母は「お父さん、あなたが来るかと待っていたよ」と言った。
私は本当に申し訳なく思い「来週は必ず行くから」と弁明した。

それから妻に父の危険な状態を告げた。
母も疲れがピークに達しているようだとも言った。
妻は、子供を連れて週末から年末までずっと、私の実家にいって母をバックアップしようと提案した。私も同意した。
子供が二人つくことになるので、いろいろと不便であるはずであろうが、家事くらいは何とかできるだろうということで、そういう決断を下した。
もう一度母に電話をした。
週末から実家に妻と子供を行かせて、家事をさせることを提案した。
母もどうしていいのかわからない感じであった。母は提案に遠慮し断った。
私は母の性格からして予想がついた。母は元来人一倍他の人に対して気を遣う人であった。その上、小さい子がついてくるというので、一人でそっとさせておいてほしいという気持ちもあったのかもしれない。
一応、様子を見て必要だったらヘルプを出してくれと言って了承した。

そして迎えた12月13日火曜日。
冒頭の さようなら親父 -1- へ戻る。

話を元に戻さねばならない。
さようなら親父 -15- の続きまで話を戻す。

病院に泊まることになった、12月16日金曜日の夜。
何を説明しようとして横道にそれたか?
父がなぜこの状態にもかかわらず、小便を自分でしようと起き上がろうとしたかを説明しようとしたからである。
posted by センセイジンゴ at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月01日

さようなら親父 -23-

退院後、定期健診で父は2週間に一度病院に行くことになっていた。
14日と30日あたりと決まっていた。
11月30日。一応私は心配していた。
会社が終わると、帰り道電話をした。
特に問題はなく、数値の方も正常値を示していた。
ただ、うわべの数値で肝臓がどうだ肺がどうだということはなく、普通の健康診断に近いものだったようだ。
一応胸をなでおろした。一応。

そして迎えた12月。
あと一月、無事に正月を迎えたいと毎日祈るようにしていた矢先の12月7日。
姉から会社のメールアドレスに携帯メールが入った。

“今日父は来週の検診が待ちきれず(足がむくんだり、だるかったりで)病院に行ったところ腎臓の機能低下と血小板の低下で再入院となりました。とりあえず報告まで。”

ひやっとした。
何かいやな気がする。
一度退院して再入院。
ただごとじゃない。

そんな感じがした。

心配していたものの、一時的なものだと祈っていたが、入ってくる報告は何しろ足がパンパンにむくんでいるというものであった。
週末12月10日11日。
この日、本当は病院にいくべきであった。
9日金曜日の帰り道、母から病院に来て父に顔を見せてあげてくれという催促だった。
しかし断った。
週末、自宅で年賀状用の写真をとり、一気に年賀状まで作ってしまおうという計画を立てていた。
しかし、結局それも無駄に終わり、年賀状などまだ作らず、病院に父を見舞っていたほうが、よかったということになる。ここでまた、病院に行けなかった後悔の念を持った。
posted by センセイジンゴ at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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