2006年01月21日

さようなら親父 -17-

何度も入退院を繰り返した、4年の間にも好きな国内旅行にも母と行っていたはずだ。
台湾から東京に私たち家族が帰ってきた一昨年の秋もすぐに社宅に遊びに来た。
出歩くのが好きな父だったが、いつでも、片時も自分の体のことを心配しながら楽しんでいたに違いない。どこかすっきりしないこともあっただろう。
でも、そんなことを母にでさえも洩らさなかったと思う。我慢強い父のことだから。

いつしか、膀胱の腫瘍が腎臓の方まで行っているということになった。
腎臓を一つ摘出することになった。そのときに腫瘍の根を張っているおおもとの膀胱までとってしまえば、あるいは助かっていたのかもしれない。

その代償として、人口の膀胱を備え付けられ、尿が備え付けの膀胱から処置する形となる。
局部意外は全然問題なく元気であったのに、膀胱をとられ人口のものを付けなければならないという選択は、父はしなかった。気持ちはわかる。
好きな旅行に仲間と行けなくなるし、行けても温泉には入りづらくなるだろう。割と体裁を気にする父だったので、自分の姿を想像する段階で、その選択は切り捨てられたであろう。そして、問題の膀胱はそのまま残ることになった。

そして去年6月。
病院に呼ばれた。
何やら、重要だということで会社に休みをとって私も東京から駆けつけた。

母と私、それから父が主治医の説明する部屋に入った。
ドラマで医者が患者に病状を説明をする場面と同じ感じで、主治医が1枚1枚父の診察した写真をカチッカチッと写真を上部のバーに投げ込みながら、淡々と説明する。
posted by センセイジンゴ at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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